公共施設マネジメント・シンポジウムが開催されました

公共施設マネジメントシンポジウム

1月13日(月・祝)に「公共施設マネジメント・シンポジウム」が開催されました。(その様子はポータルサイトでも紹介しています。)

私も市民委員の端くれとしてパネルディスカッションに参加しています。(大したことは言っていないので期待しないでください。)

今回のシンポジウム開催まで、さいたま市の「行財政改革推進本部 公共施設マネジメント推進チーム」の職員のみなさんは本当に大変だったことと思います。公共施設マネジメント推進チームは公共施設マネジメントの専任チームです。市内にある1,700の施設について、すべて議論できる形にデータを整理し(白書)、基本方針に従ってこれらがどうあるべきかを計画する(アクションプラン)作業を行ってきたのです。オタクの私でも「ふぇ~」としりごみするような作業です。本当に頭が下がります。

この計画はこれから40~60年続いていきます。私たちの誰もその行く末を見届けることができないかもしれません。だからこそしっかりと行くべき道筋を示して、途中で別の道にそれたり、スタンドプレーで計画をとん挫させる首長を選んだりしないように、市民が市民に伝えていかなければと思っています。

微々たる力ですが、この計画に加わった責任を果たしていきたいと思います。

公共施設マネジメント・シンポジウム

さいたま市公共施設マネジメント

さいたま市の公共施設マネジメント計画の根幹をなす「施設の複合化」。

誰でも自前の土地や施設を持てるだけ持っていたいのは当たり前のことでしょう。でもそれが財政破綻を招くのであれば、次善の策として「必要な施設を複合化して余った土地や施設は貸すか売却する」という方針は次世代に負の遺産を残さないためにはしかたのないことだと思います。

こうしてマイナスイメージでしか受け止められない「施設の複合化」ですが、別の角度から見ると「コミュニティの核としてすべての世代がつどう施設」を作る千載一遇のチャンスでもあります。

現在、「一緒に考えよう!わくわくする楽しい公共施設『与野本町小学校を中心とした複合施設を考えるワークショップ』」に参加しています。実は今までの会議の流れやその前に行われたワークショップなどに参加していて、「本当にできるのだろうか?」とちょっと弱気になっていました。

けれども、ここ与野本町の地域のみなさんの思いやワークショップに対する姿勢をうかがうにつけ、「この地域なら実現できるのではないか」と思うようになりました。それは地域のみなさんの地域を愛する気持ちが伝わってくるからです。ワークショップ・メンバーの多くはかなり年配の方たちです。でも、決して既得権益にとらわれることなく、子どもたちのためにと知恵を絞っています。こうしてまとめられたワークショップの結果はおいおい実際の計画に反映されると思われます。

さいたま市公共施設マネジメントこのワークショップについてのあれこれ、すでに行っている公共施設マネジメント会議のその後、さらに大宮東口プロジェクトの様子などをひっくるめて「さいたま市公共施設マネジメント・シンポジウム」が開催されます。

公共施設の建設について、その構想段階から市民が関わることは今までになかったことだと思います。今まで市民は行政に対抗する(反対勢力となる)立場でしたが、やっと市民と行政が恊働する時代が来ました。「けしからん!」と怒っている場合ではありません。怒る前にいっしょに参加して行政の思いもよらないアイデアを出してみませんか。

2014年1月13日(祝・月)開催です。

なんか…がっかり

昨日は10ヶ月ぶりで「さいたま市公共施設マネジメント会議」が開催されました。場所は今までの中で一番近い武蔵浦和コミセンです。

今まで総論を語ってきた会議ですが、すでにアクションプラン(各部署が具体的な活動計画を立てる)の段階になってきています。

そこで久しぶりの会議ではこのアクションプランを立てるに当たり、この10ヶ月で見直された計画について説明がありました。それが「なんか…がっかり」な展開となりました。

そもそもこの会議が始まった時、「このままじゃ市の財政が破綻する。なんとかしなくちゃ!」という逼迫感がありました。学識経験者の先生方になにもわかっていない市民が加わり、紆余曲折を経て「なんとかこの計画案で乗り切れるんじゃないか」というところまで来たと思ったのです。

ところが久しぶりにいただいた資料には「建物を長寿命化すれば、そんなに厳しくもないかもよ」というメッセージが込められているように見受けられました。今まで60年で見積もっていた建物の寿命を80年まで延ばせれば、コストとかが軽くなると思うよ…って、本気ですか?そんなことで回避できるんですか?施設を複合化しなくても何とかなるかもしれないんですか?

にわかには信じられない展開に愕然としました。

もちろん担当部署の職員の方や地域住民の方にとってはハードルが低いほど合意を得やすいと思います。でもそれでほんとにいいのでしょうか?机上で過去の資料を読み解いたり試算を行うことと、実際に現場で起こっていることが違うのではないかと思うのです。

次は来年だそうです。なんとも無力感を覚える会議となりました。
建物の複合化

さて、各論です

7月から久しぶりのさいたま市公共施設マネジメント会議がありました。

8月のシンポジウムで「総論賛成・各論反対ということばはない。各論で反対する人は総論も反対なのだ」、「複合化というと悲しいことだと思いがちだが、複合化は楽しいことがあると思っていいのだ」というキラリと光ることばが登場しました。

今までの話から引き続き、各論に入ったのです。と言っても、会議の席で個別の事例について検討するわけではありません。実際の施設の評価からアクションプラン作成までの流れについて、行財政改革推進本部の計画案を聞いて、根本先生と南先生がダメだしをするといういつものパターンです。

前回の会議から今回までの間に、笹子トンネルの事故があり、衆議院選挙があり、世間の目はもっと公共事業とか公共施設とかに向いているものだと思いましたが、今回も傍聴者はゼロ…orz 今をときめく根本祐二先生が座長の会議だというのになんてことでしょうか。単なる行財政改革推進本部の周知不足?それともさいたま市民の方は関心がない?

ともあれ、首相が変わろうが、急に公共投資が潤沢に行われようが、子や孫のために地道に有効に税金を使うという使命は変わりません。ひとりでも多くの市民、行政職員に理解していただくために、これからもしぶちんな委員であり続けたいと思います。

「朽ちるインフラ」が現実のものに。そして選挙です。

笹子トンネルの天井崩落事故は、日頃のチェック体制などに問題があったとは言え、根本的には「インフラはいつか朽ちる」ことを軽く見ていた結果なのだろうと思います。

根本祐二先生が警鐘を鳴らしていた「公共施設の老朽化」が現実のものとなった事故で、犠牲者が出たことは残念なことです。ただ、これが「朽ちたインフラ」の初めての事故だとは思いません。犠牲者がでなかっただけで、以前から公共施設の老朽化による機能停止や小さな事故があったのですが、広く周知されなかっただけです。

このような過去の政治家の虚栄心を満たすような「すごい公共施設・インフラ」の老朽化のツケを、不幸にも今の政治家、ひいては次の世代が払わなければならないのです。おまけに老朽化して周辺の公共施設との複合化が最適な施設であるにもかかわらず「実績を作ったオレの目の黒いうちは複合化などとんでもない!」な方もいらっしゃるようで、たまったものではありません。

私たちも「昔の○○さんは地域にこんなすごい施設を造ってくれたから、今度も地元にすごいものを造ってくれる人を選ぼう。」とか言っていないで、子孫にツケを残さない施策を提言してくれる堅実な人を議会に送りたいものです。だから選挙には行くのです。

公共施設マネジメント・ワークショップが始まりました

8月25日にさいたま市公共施設マネジメント・シンポジウムが開催されました。この2年あまりのさいたま市の公共施設マネジメントの取り組みを市民のみなさんに知っていただき、ともに考えていただく試みのひとつでした。

さらにさいたま市の行財政改革推進本部は公共施設マネジメント・ワークショップを開始しました。このワークショップはマネジメント会議とは全く別のプロジェクトで、芝浦工業大学の志村先生がワークショップの水先案内人です。

以前の公共施設マネジメント会議でも話し合われていたことなのですが、このようなワークショップに意味があるのか正直疑問でした。中途半端なワークショップはなにも生み出さないのではないか…と。

第1回が9月28日に行われたのですが、事前資料のワークショップ参加者リストを見てから、「もしかしたら面白いかもしれない」とちょっと期待しました。そして出席してみてとても楽しくて、結果はどうあれこのワークショップが利害関係も知識も価値観も違っている人がどこまでこの問題に取り組めるかをシミュレーションする試みだと理解しました。

さらに観察してみると、今回はさいたま市のたくさんの部署から若い職員の方たちが出席していて、今後40年以上にわたって進められるはずの市の施策を担う人材を部門横断的に集めて、こちらも別な意味でワークショップを行っているように見えました。司会進行も慣れない部署の方たちががんばってやっていました。

私も知らず知らずのうちに、「さいたま市公共施設マネジメント計画は複雑で遠大すぎて、動き出すのは簡単ではない」と思い込んでいました。どんな一歩でも踏み出さなければ始まらないのでした。

今回新しい知り合いもできて、あと3回の短いワークショップですがどこまで駆け上がることができるか、楽しみながら走り出そうと思います。

そして施設は見放されていく

「ハコと機能は分けようよ」という考えで公共施設のあり方を考えてきました。その過程で、ハコだけ見て機能をないがしろにしたために、結局ハコが多くの地域住民から見放されてしまうケースがあると知りました。

本来コミュニティ向けの公共施設は地域住民をいろいろな形でサポートするための施設です。ハコ(施設)ができた当初は「ああも使おう、こうも使おう」とその機能に期待を寄せる地域住民が多かったことと思います。ところが、いつの間にか一部の人たちや一握りの団体しか使わなく(使えなく)なってしまっている施設もあります。

たとえば、同じ趣味の団体同士が連携していろいろな施設の抽選にそれぞれ申し込むことで、実質上施設を独占使用してしまって地域住民が使う余地を奪ってしまったり、建物の構造上の理由からくる遮音性の低さを理由に子どもたちの声や高齢者の歓談場所を排除するよう求めて(要は「子どもやおばあちゃんたちの話し声がうるさい。私は静かにくつろぎたい。ロビーでは静かにするのがマナーでしょうが。」とか言っちゃう)、意に添わない人たちの来館を遠ざける…とか。

コミュニティ施設は地域住民の誰にでも開かれているはず。それがコミュニティ施設の機能なのに、ハコを使うことの既得権を得たとたんに他を排除しようとするのは、本来の施設の機能を奪っているに他なりません。それをどうすることもできない…現状はそうです。やっている方は悪いことだと思っていないでしょうから。

ここから脱却するにはどうしたら良いのでしょうか?ハコではなく機能で施設を捉えるための情報開示のしかたが求められているのかもしれません。施設ごとのパンフレットではなく、機能ごとのパンフレットをつくるとか…。

パンフレットよりWebの情報の方が良いでしょうか。「こういうことをしたい方向けの施設」という一覧表を公開し、一方で地域住民優先事項を付記する(この部屋は施設から半径1kmの人の申請が優先されますとか。まぁ、臆面もなく各施設の半径1km以内に100団体を存在させたりする愚か者が出てくる気はしますが。)などのルールをしっかり作らないと、交通の便が良く利用料が抜群に安い(または無料)のさいたま市の公共施設は一般の地域住民から見放される存在になってしまうことでしょう。

これからいろいろな公共施設の見直しが行われ、複合化により地域の公共施設が機能優先で集約されていくと考えられます。ハコを残すための反対運動も激しくなるでしょうが、一般住民に見放された施設に多くの支持者が現れるとは限りません。

さいたま市公共施設マネジメント シンポジウムに参加しました

8月25日に市民会館おおみや・小ホールで開催されたさいたま市公共施設マネジメント計画シンポジウムにパネラーとして参加しました。

他の委員や清水市長とのパネルディスカッションでしたが、こういうことは初めての経験でした。おまけに、私の知らない人ばかりでアウェイ感大!だし。

事前の細かいシナリオなどもなく、「これは言っちゃいけません」とも言われませんでした。なにしろ基調講演者でパネルディスカッションのコーディネータの根本先生がフリーダムな方で、いつ何時とんでもないことを言われるか、全くわからない状況でした。

もっとも、細かいシナリオがあったとしたら、私は大根役者なので、きっと間違いだらけの反応をしていたでしょう。「素」で理解していることや思っていることを話すしかなかったなと思っています。もちろん、ちゃんと言いたいことを言葉にするスキルがなかったことは後悔・反省の気持ちでいっぱいですが。

公募市民委員の自分がこの計画を自分の中に納める(理解する)まで、ずいぶん時間がかかったと思います。それだけのスケール(金額的にも期間の長さにしても)の大きさがありました。この問題に興味を持たれた方には「ゆっくりでも全体が見渡せる場所まで後退りしながらこの計画を眺めてください」とお願いしたいと思います。

これからこの計画を理解する手法の一つとしてワークショップが始まります。会議とは全く連動しない独立したワークショップになるそうです。また新しい発想が生まれるかもしれないと期待しています。