ここらで買い物

福島市

正確には「JA新福島農産物直売所 ここら 吾妻店」と言います。

福島市の農産物の直売所ですが、この季節はお盆のお花や桃が大量に出荷されています。ただし、同時にたくさんの方が車で訪れてどんどん買って行くので、うかうかしていると買うものがなくなりそうな勢いでした。

福島市

桃は「あかつき」です。果肉が赤く、固くても甘い品種です。農家の方が安全性を確保するためにどんなに努力されたことだろう…と思いました。

福島市

お花はお墓参り用がほとんどでした。(菊が多かった!)

やはり福島の農産物が元気になってくれると嬉しいです。

この後、いちど宮城に行ってから福島市に戻って来たのですが、風邪を引いてしまってどこにも行かないままさいたま市に戻って来てしまいましたので、ちょっと残念でした。

 

 

 

 

 

非日常が日常

土〜火まで実家の福島市に行ってきました。もう2年も前のことなのに、やはり日常とは言えない日々が続いている福島市でした。テレビでは天気予報の中で「今日の放射線量」について表示されたり、道を通れば「ただいま除染中」の看板が出ていたり。

そんな中で自分になにができるだろうと考えます。今はできないかもしれません。が、被災地の支援はピンポイントで行うものではありませんから、きっと自分の出番が来るだろうと思っています。今、一生懸命被災地のために動いている人が、次のバトンを誰かに渡したいと思ったとき、そのバトンを受け取ればいいと思うからです。

この夏には震災後初めての「中学校の同窓会」があります。もしかしたら私にできることが見つかるかもしれないと思いながら、出欠はがきに出席と記入しました。

福島の日本酒は美味しいぞ

震災以降、福島市の実家に帰る度に必ず日本酒を買うようになりました。被災地支援という名目でしたが、すでにすっかり虜になってしまっています。新幹線を降りると真っ先に向かうのはコラッセふくしまにある物産館です。

ここは福島県産の日本酒が充実していて、いろいろアドバイスもいただける場所です。その季節に出ている珍しいお酒なども紹介していただいています。日本酒は封を切ったときから刻々と味が変化して(劣化ではなく)、一口目とは印象がどんどん変わっていくのが魅力です。

常温保存の純米酒も美味しいのですが、やはり冷蔵庫に入っている生酒などがするする入って美味しいなと思っています。クール宅急便という強い味方があるので、冷蔵庫に収まる4合瓶を中心に買っています。現在かなりの種類の銘柄を購入していますが、全部を飲んだわけではなく、お土産に差し上げてしまったりもしています。美味しいなと思った一番は…オーソドックスですが、「國權」の生酒でしょうか。

もともとそんなにお酒が強いわけではなく、一度に日本酒1合程度がちょうど良い量なので、「最初はビールで乾杯」と言われるのが悲しいです。その分、日本酒が飲みたいのに。と、ここまで書いてきて、すっかり酒飲みの独り言になっていることに気がついてしまいました。これからも飲むもんね。(開き直り)

国権

独語だけできる世代

朝の連続テレビ小説が好調のようです。(私はあまり観ていないのですが。)

「梅ちゃん先生」をたまに観て気がついたのですが、外国語はドイツ語だけできる世代があるんですね。戦争中、英語は敵性語なので学校教育に取り入れられずに戦後を迎え、戦後にドイツ語を学んだ世代。

私の母も戦後に女子医専に入って、初めて接した外国語がドイツ語らしいです。今でもテレビで洋画を字幕版で観ていて、英語はわからないけどドイツ語の洋画はなんとなくわかるよと言っていました。(戦後の女子医専では誰もが苦学したようですが、その話は置いておきます。)

こんなことを突然思い出したのは、先日フィリップ・K・ディックの「未来医師」というSFを読んだからです。21世紀の医者が25世紀の未来に拉致されて、手違いからその社会の真ん中に放り出されるところから物語がスタートするのですが、そのとき話されていた言葉がラテン語を基にした世界標準語で、主人公は難なくマスターしてしまいます。

英語を話す作者ですが、世界標準となる言葉は英語ではないと(1960年代に)思っていたようです。それから50年以上が経ち、インターネットで英語がグローバル・スタンダードになった現在に作者がいたとしたら、世界標準語はどのような設定になっていたでしょうか。それにしてもSF作家の想像力ってすごいですね。

今だから言えること

匿名でブログを始めましたが、その内にtwitterやfacebookにも進出したため、結局のところは本名でやっているのと同じ状態に至っています。

そして1年前の震災と原発事故。連日「福島」ということばを聞かない日はなくなりました。まさか自分が生まれた土地の名前、自分の結婚後の名字と同じことばがこれほど注目されるとは…。やはり、初めて他の人が声をひそめて「福島はもうだめ…。」と言うのを聞いたときは体が震えました。まるで自分ももうだめになってしまうような気がしたのです。

でも、「ばかなことを!」とすぐ思い直して、逆に自分は「福島」をあきらめずにいようと腹をくくることができました。ちょっとやけくそだったかもしれませんが。

折も折、中学時代の同級生たちがメールで連絡を取り合うようになりました。福島市に住み続けている人も、長く福島を離れてくらしている人も、福島への思いを共有してみんなで前向きな気持ちにもなれました。

私も福島市を離れた年月の方が、福島市にいた年月を大きく上回ってしまいましたが、これからも「福島」を見つめていきたいと思っています。

昔話

昨日のさだまさしさんのコンサートを聴いて、久しぶりに亡くなった父を思い出しました。

父は1917年生まれ。長崎市戸町の遊郭の末子でした。長じて東京の医専を卒業して、法医学者となりました。趣味はヴァイオリンと作曲。そんなわけで、さだまさしさんには並々ならぬ関心を寄せていたのでしょう。

先日、実家へ帰って金庫を開けたら、父のパスポートが出てきました。なんと1980年代に長崎を出て、長崎に帰るスタンプが押してありました。そう言えば、さだまさしさんが船で中国へ行くツアーを企画されて、それに父が参加しちゃったのよ…というような話を母から聞いたことがあります。

どうも、思い立ったらやらないではいられない性格だったらしく、齢70を過ぎて、さだまさしさんにファンレターを書いたようです。なぜかさださんの心の琴線に触れたらしく、直接お電話を頂戴したと感激して話していました。でも、「さださん、大好き!」とは言えず、「長女(私です)があなたの大ファンです」とか言ったそうで…詰めが甘いよ、父。

そんな父も91歳で亡くなりました。そんな父に、さださんの「奇跡~大きな愛のように~」を心の中で贈った私です。