まちづくりフォーラム ~大宮区役所庁舎の建て替えと公共施設再編について~

大宮区役所でまちづくりフォーラム~大宮区役所の建て替えと公共施設再編について~が開催されたので、行ってきました。

フォーラムは大きく2部に分かれていて、第1部が推進懇談会、第2部がパネルディスカッションでした。多くの市民が傍聴に参加して、関心の深さがわかりました。
内容については、後日正式な報告が行われると思いますので、感想だけ書いておきます。

よかったこと
・個人の利害を超えて、新しい街の創造に期待する声が多かった
・まちづくりに積極的に市民が関わろうという意欲が感じられた
・将来の街の姿など、長期的な展望についても提案された
・行政側の説明者がまともだったこと(失礼)
気になったこと
・まだ移転先が4案の中から決定していないにもかかわらず、移転後の事業者や他の行政の行動に確約を求める発言があったこと(もしもここに移転するとしたら、◯◯は必ずこの施設に入ると確約してるんですよね?って聞くのは変だと思わないのかしら)
・市長が途中で帰るのは失礼だとか、傍聴者に静粛を求める文書を配るとは何事だ、謝罪を要求する…とか、勘違い発言が出たこと(だれも「そうだそうだ」と言わなかったのが救い)
・複合化によって使わなくなった土地に新たな施設を作る(新築)ことを考えていること

今後の展開に期待が持てるフォーラムでした。

パブコメの結果が公表されました

「さいたま市公共施設マネジメント計画方針編(素案)」に対する意見募集の結果が公開されました。

概ね賛成のご意見が多かったようですが、中にはハッと気づかされるような鋭いご意見もありました。(個人的には「検討メンバーを一新しろ」というご意見にちょっとヘコみました。)

寄せられたご意見のいくつかに「総論は大変結構だが、各論になった時、本当に計画どおりにマネジメントできるの?」という心配が現れていたような気がします。そうですよね。私もこれが一番心配です。でも、こればかりは実際に動いてみなければわかりません。

そして、「その前に市の職員の意識をもうちょっとなんとかしなければいけないんじゃないの。」というご意見ももっともだと思いました。それというのも、実際に市民を見下すような行動を繰り返す職員の方が窓口になっていて、「この職員さんの考える市民との協働とは、『金を出してやるんだから、市民は自分の考えるとおりに動けばいいんだ』ということなのではないだろうか?」と思わずにはいられないことがあったからです。

職員は市民を見下さない、市民は行政を私物化しない。これは基本中の基本だと思うのですが、なかなかそうもいかないようです。

さて、このパブコメの結果公開と入れ替わるように、「岩槻まちづくりマスタープラン(案)」へのパブコメの募集が始まりました。公共施設マネジメント計画の考え方で読むと「どうしてこうなった?」と思ったりしてしまいますが、市民のみなさんはどうお考えでしょうか?

知らないことには賛成できない

パブコメも一段落したさいたま市公共施設マネジメント計画ですが、賛否両論があることでしょう。賛成するにしても、反対するにしても、情報がちゃんと伝わっていないと意思表示はできません。

「反対」とおっしゃっている方の中には、計画内容の開示がいまひとつ物足りず、「もしかしたら、今、享受しているサービスや環境がなくなってしまうのではないか?」と不安に思われて、「そうなるといやだから反対」されている方もいらっしゃることでしょう。

これは「他の市民や将来の市民のことなどどうでも良い。自分が今までどおり、快適に暮らせれば他がどうなろうと知ったことではない」という100%自己中な考えとは違います。正しい情報が伝わり、現状を理解していただければ、「だったら賛成しても良い」と考えてくださるかもしれません。

行政は市民にきちんとわかりやすく情報を伝える必要があります。今回のマンガで始まるパンフレットが、少しでも市民のみなさんの理解を助ける道具となるよう願っています。

若い力でパワーアップ

公共施設マネジメント計画に対するパブコメは100件以上集まったらしいと風の噂で聞きました。

「いや~、お疲れ様でした」などと労っているヒマもなく、行財政改革推進本部は次の作戦に打って出ました。それは「市民によりわかりやすく公共施設マネジメント計画を理解していただくための冊子の作成」です。

そこで白羽の矢が立ったのが若い力、埼玉大学の学生さんによる冒頭部分の「マンガ化」です。昨日、私も打ち合わせに同席させていただきましたが、行財政改革推進本部が用意したいくつかのシナリオをとても良く理解していて、さらに独自のアイデアを提案するなど、感心させられるばかりでした。

これから忙しい学業の合間を縫って、マンガを描いてくださいます。きっと同世代のさいたま市民が理解してくださるような作品に仕上がるだろうと頼もしく思います。

公共施設マネジメント計画は若い人にこそ理解していただかなくてはならない計画なのです。老い先短い私のような年代が彼らのような若い年代の未来を奪ってはいけないと心から思いました。

最後に、彼らの中で私と同様にロボットアニメをこよなく愛している同志がいたことをとてもとても嬉しく感じました。さらに職員のお一人がどんどんマンガのスキルをあげている…おそるべし、さいたま市職員の潜在能力!!

市民こそが止められること

さいたま市公共施設マネジメント計画に対するパブコメが始まっています。パブコメ開始には間に合わなかったのですが、座長の根本先生のコメントが載っています。(下の方にスクロールすると出てきます。)

下記に転載しますので、読んでみてください。そして市民に疎まれることを覚悟して提案した行政の熱意を感じて、次は市民がそれを支持することで負のスパイラルを止めてくださることを切に願ってやみません。

さいたま市公共施設マネジメント会議 根本委員長コメント

パブリックコメントにあたり、公共施設マネジメント会議委員長として一言申し述べさせていただきます。

公共施設は私たちの暮らしを豊かにしてくれます。多ければ多いほど豊かに感じます。これからも、今まで以上に公共施設を充実させてほしいと考えるのが普通の市民の感覚です。

でも、公共施設を建設し、維持運営していくためには想像以上のお金がかかります。また、1960年代、70年代に建設された公共施設がすでに4~50年たち、物理的な限界に近づいています。

このまま何もしなければ、建物は倒れ、道路に穴が開き、水道管が破裂する事態も想定されます。これが、【インフラ崩壊シナリオ】です。アメリカでは、日本より30年前の1930年代に大規模な公共投資をはじめましたが、50年後の1980年代に古い橋が崩落する事故が起きて、公共投資のあり方を根本的に見直さざるをえなくなりました。日本も同じです。既に、古い市民ホールの天井が落ちて死亡事故になったり、使用停止になった橋や水道管から漏れた水がガス管に入り込んで市民生活に大きな影響を与える例もいくつも報告されています。

だからかといって、古いものを建て替えることも容易ではありません。最近、公共投資の予算は減少の一途をたどって来ました。少子高齢化で税金の収入は伸び悩む一方、社会福祉の費用は年々増加しているからです。建て替えるには無理に借金する必要がありますが、それは将来大きな負担となる【財政破綻シナリオ】です。すでに、日本は、財政破綻したギリシャや、G8の中でもっとも悪いイタリアの水準をも大きく超えた借金をしています。財政が破綻すれば、公共施設どころではなくなります。皆さんの子どもや孫の顔を思い浮かべ下さい。このシナリオを選択できますか。

二つの厳しいシナリオのいずれにも行けないと頭を抱えていると【なし崩しシナリオ】が待っています。利用者の声が大きいような施設に予算をつけることを繰り返していると、早晩予算がなくなります。そうすると、その時点で公共投資を中止せざるをえなくなります。古い施設を使い続ければ危険ですからその施設は休館となります。学校や病院も例外ではありません。ほとんどの市民が使うことのない立派な何とか会館の脇に、今にも壁が崩れそうな学校の校舎が残っているというおかしな状況にもなりかねません。これも避けるべき道ですが、しっかりした方針がないと、なし崩し的にこのシナリオが実現してしまうでしょう。

今、さいたま市は政令市の中でも先駆けて公共施設マネジメントをはじめました。公共施設マネジメントは、現在の世代にとっては痛みを伴う反対の多いテーマです。市は、三つの不毛なシナリオを回避し、「できるだけ財政負担を軽くしながら、できるだけサービス水準を落とさないような方法」を編み出そうとしています。

委員会は、次の世代のためにあえて困難なテーマに挑もうとする市長以下事務局の勇気に敬意を表するとともに、専門家としての知恵を出しました。次は市民の皆さんの番です。自分の子どもや孫に胸を張って残せるふるさとをつくるにはどうすべきか、真剣にお考えくださるようお願いします。

「さいたま市公共施設マネジメント計画 方針編(素案)」

途中、東日本大震災を挟んで2年をかけて話し合われた「さいたま市公共施設マネジメント計画 方針編(素案)」ができ上がりました。現在さいたま市がパブリックコメントを実施しています。さいたま市の将来をお考えの方は、ぜひご意見をお願いします。

「さいたま市公共施設マネジメント計画 方針編(素案)」への意見を募集します

朽ちるインフラ – 忍び寄るもうひとつの危機

私が公募市民として(全く戦力にならないながらも)参加している「公共施設マネジメント会議」の座長である東洋大学の根本祐二先生の著書です。ブクログに一足先にレビューを書いたのですが、それをふまえて感想を書きたいと思います。

かなり恐ろしい本です。退くも地獄、進むも地獄…という感じです。

まず、老朽化していくインフラを、目前の利益や根拠のない楽観のために見て見ぬフリをした場合におとずれる取り返しのつかないバッドエンドの未来の日本の姿から始まります。

そして、それはデータを検証すればするほど、確実におとずれる未来であることがわかります。さまざまな対応策が示され、最後にたぶんこれがより良い姿だろうという予測が示されます。

ところがこの予測は大変な苦行なのです。地方自治体単位の善処ではどうすることもできない問題で、当然ながら国政がその方針を転向して、国民の理解のもと何十年もかけて取り組まなければならないことです。現在の国政を考えるととても実現できるとは思えないほどのパワーが必要です。

正直、「これは無理だ」と思わざるを得ないほど、多くの人を説得しなければなりません。各自治体でさえ、住民に納得していただくのは至難のワザだと思います。

そしてそして、これが最も恐いことなのですが、公募市民として会議に参加している私にも、さいたま市民に納得していただけるよう努力する義務があるということです。本当に私にできるんだろうか…。

こんな日もある

昨日はさいたま市公共施設マネジメント会議がありました。

こういった会議をしていると、必ず「停滞」する回があるものですが、昨日がややそうかな…と思いました。いえ、もしかしたら参加したみなさんにとってはいつもどおりの会議で、私自身が流れに乗れないまま終わってしまっただけかもしれません。

会議でいちばん困るのは、微妙に話が噛み合なかったり、以前の議論の蒸し返しになってしまったりしたときです。心の中で「おいおい、それは何度も出た話でしょう…」と勝手に突っ込みを入れてしまうことがあります。昨日はなんだかそれが多かったような気がします。

ひとつ心配なのは、だんだん行政側の声がトーンダウンしている感じがすることです。いろいろな部署と連携を取りながら進めて行くうちに、相手の事情がわかってきてどうしても実現性のある計画に落ち着こうと、書き方が玉虫色になってきているかなと思いました。相手の裁量によるところが大きい記述ですね。

バスで市役所から浦和駅まで帰るときに、「市民としては具体的なバッドエンドが示されると分かりやすいのですが…」と学識経験者の委員の倉斗先生にお話ししたところ、「それなら…」と座長の根本先生の本「朽ちるインフラ – 忍び寄るもうひとつの危機」を紹介してくださいました。

早速Amazonで注文しました。読んで問題の深刻さを感じたいと思います。