そして施設は見放されていく

「ハコと機能は分けようよ」という考えで公共施設のあり方を考えてきました。その過程で、ハコだけ見て機能をないがしろにしたために、結局ハコが多くの地域住民から見放されてしまうケースがあると知りました。

本来コミュニティ向けの公共施設は地域住民をいろいろな形でサポートするための施設です。ハコ(施設)ができた当初は「ああも使おう、こうも使おう」とその機能に期待を寄せる地域住民が多かったことと思います。ところが、いつの間にか一部の人たちや一握りの団体しか使わなく(使えなく)なってしまっている施設もあります。

たとえば、同じ趣味の団体同士が連携していろいろな施設の抽選にそれぞれ申し込むことで、実質上施設を独占使用してしまって地域住民が使う余地を奪ってしまったり、建物の構造上の理由からくる遮音性の低さを理由に子どもたちの声や高齢者の歓談場所を排除するよう求めて(要は「子どもやおばあちゃんたちの話し声がうるさい。私は静かにくつろぎたい。ロビーでは静かにするのがマナーでしょうが。」とか言っちゃう)、意に添わない人たちの来館を遠ざける…とか。

コミュニティ施設は地域住民の誰にでも開かれているはず。それがコミュニティ施設の機能なのに、ハコを使うことの既得権を得たとたんに他を排除しようとするのは、本来の施設の機能を奪っているに他なりません。それをどうすることもできない…現状はそうです。やっている方は悪いことだと思っていないでしょうから。

ここから脱却するにはどうしたら良いのでしょうか?ハコではなく機能で施設を捉えるための情報開示のしかたが求められているのかもしれません。施設ごとのパンフレットではなく、機能ごとのパンフレットをつくるとか…。

パンフレットよりWebの情報の方が良いでしょうか。「こういうことをしたい方向けの施設」という一覧表を公開し、一方で地域住民優先事項を付記する(この部屋は施設から半径1kmの人の申請が優先されますとか。まぁ、臆面もなく各施設の半径1km以内に100団体を存在させたりする愚か者が出てくる気はしますが。)などのルールをしっかり作らないと、交通の便が良く利用料が抜群に安い(または無料)のさいたま市の公共施設は一般の地域住民から見放される存在になってしまうことでしょう。

これからいろいろな公共施設の見直しが行われ、複合化により地域の公共施設が機能優先で集約されていくと考えられます。ハコを残すための反対運動も激しくなるでしょうが、一般住民に見放された施設に多くの支持者が現れるとは限りません。