コミュニケーションは難しい

ちまたにコミュニケーションツールがあふれていますが、やはり基本は顔を合わせて話し合うことです。

ほとんどのことをメールやSNSで話し合えるようになって、私たちは相手の顔を見て話すスキルを忘れ始めている気がします。いえ、個々人の持つスキルの差が大きくなっているような気がするのです。

「察する」というスキルは是か否か。それが心配りとか優しさとかいうものなら「是」なのでしょうが、「言わなくてもわかるでしょ」とか「自分がこう言ったら従いなさいよ」という威圧であるなら「否」。まぁ、私はひねくれているので、暗に従わせようとしているなと感じたら「察しが悪い」人間になるのですが。

最近いろいろな人に会う機会が増えて、その方々のバックグラウンドがわからない状態で会話が始まった時、「この話題にはどう答えたものだろうか?」と悩むことも多くなりました。(基本、へらへら笑ってることが多いですが。)どう思われようと心配するようなことでもないのですが、つい…です。

話は変わって、ここ1年かかって髪のカラーリングをやめて本来の状態に戻しました。そうしたら話し相手の反応が微妙に変化しました。なんというかいつも本来の歳より下に見られていたようなのですが、見た目がだいぶ実年齢に近くなったせいで、「あれ?同年輩だと思っていたけど、もしかして年上?」というニュアンスを感じています。

我が一族は生来おちゃらけ・場繫ぎ使命を持った一族のようです。DNAがコミュニケーションを保とうとしているのかもしれません。会議が停滞した時、気詰まりな沈黙が訪れた時、つい反応してしまう私を許してください。